被告人、判決、服役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:28 UTC 版)
「ハバロフスク裁判」の記事における「被告人、判決、服役」の解説
山田乙三(関東軍司令官・大将)- 矯正労働収容所で25年間の監禁。1956年の日ソ国交回復に伴って帰国。 梶塚隆二(関東軍軍医部長・軍医中将)- 矯正労働収容所で25年間の監禁。1956年の日ソ国交回復に伴って帰国。 高橋隆篤(関東軍獣医部長・獣医中将)- 矯正労働収容所で25年間の監禁。1952年、脳出血で死去。 佐藤俊二(関東軍第5軍軍医部長・軍医少将)- 矯正労働収容所で20年の監禁。1956年日ソ国交回復に伴って帰国。 川島清(第4部/細菌製造部部長・軍医少将)- 矯正労働収容所で25年間の監禁。1956年の日ソ国交回復に伴って帰国。 柄沢十三夫(第4部細菌製造課課長・軍医少佐)- 矯正労働収容所で20年間の監禁。1956年、所内で自殺。 西俊英(教育部長兼孫呉支部長・軍医中佐)- 矯正労働収容所で18年間の監禁。1956年の日ソ国交回復に伴って帰国。 尾上正男(731部隊海林/牡丹江支部長・軍医少佐)- 矯正労働収容所で12年間の監禁。1956年の日ソ国交回復に伴って帰国。 平桜全作(100部隊研究員・獣医中尉)- 矯正労働収容所で10年間の監禁。1956年の日ソ国交回復に伴って帰国。 三友一男(100部隊隊員・軍曹)- 矯正労働収容所で15年間の監禁。1956年の日ソ国交回復に伴って帰国。 菊地則光(731部隊海林/牡丹江支部支部衛生兵・上等兵)- 矯正労働収容所で2年間の監禁。1951年に釈放。 久留島祐司(731部隊林口支部衛生兵・実験手)- 矯正労働収容所で3年間の監禁。1952年に釈放。 収容先はいずれもイヴァノヴォ州レジニェヴォ地区(ロシア語版)チェルンツィ村(ロシア語版)のイワノボ将官収容所であった。
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