衣笠貞之助の監督デビューとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 衣笠貞之助の監督デビューの意味・解説 

衣笠貞之助の監督デビュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/23 03:16 UTC 版)

牧野教育映画製作所」の記事における「衣笠貞之助の監督デビュー」の解説

また同年日活向島撮影所退社して国際活映国活)に移ったものの、経営不振のため、国活出て連鎖劇巡業始めた当時俳優衣笠貞之助が、名古屋巡業中に同地映画館主から日活本社苦情入った本社はこれをやめさせるべく、かつて日活向島撮影所長だった牧野に、衣笠一派説得頼んだ牧野名古屋飛び衣笠説得、それと同時に彼らを「等持院撮影所」で引き受けることにした。同年衣笠は、内田との共同監督として『噫小西巡査』で監督としてデビューした同作10月29日日活配給公開された。 いっぽうは『火華』を監督していたが、牧野との対立から撮影途中で放り出して、妻の紅沢とともに同社を去る。これを完成したのが衣笠であったいずれにしても、すでに牧野日活大きな貸しをつくり、「興行映画の製作をしない」という条件振り払い新国劇キラータイトルである行友李風原作の『国定忠治』の製作に入った同作同年12月31日国活配給の「お正月映画」として華々しく公開された。出演したのは、『実録忠臣蔵』同様、無名役者ばかりであった1923年大正12年)、牧野大石内蔵助自来也鼠小僧次郎吉松平長七郎大久保彦左衛門清水次郎長といった定番物語性あふれる人物主題にした映画連打した。やがて国活本格的に映画製作中止し阪東妻三郎流れ込んでくる。もう「教育映画」の看板相応しくない同社は「マキノ映画製作所」へと改組、それと同時に牧野は「マキノ省三」へと改名し同社はその役目終えた

※この「衣笠貞之助の監督デビュー」の解説は、「牧野教育映画製作所」の解説の一部です。
「衣笠貞之助の監督デビュー」を含む「牧野教育映画製作所」の記事については、「牧野教育映画製作所」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「衣笠貞之助の監督デビュー」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「衣笠貞之助の監督デビュー」の関連用語

衣笠貞之助の監督デビューのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



衣笠貞之助の監督デビューのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの牧野教育映画製作所 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS