衛生陶器市場開拓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/07 06:02 UTC 版)
北陸窯業が新規参入した昭和36年当時の衛生陶器業界は、東陶機器㈱(現:TOTO)を頂点にメーカー数は大小21社あり、愛知県を中心に表日本側に集中しており、まもなく石川県小松市の小松製陶㈱が廃業したので当業界は、メーカー数が少ない業種の中にあって北陸窯業は、日本海側ではただ一つのメーカーとなった。当時の市場は、今日ほど環境整備も進んでいなく下水道の普及も一部限られた都市のみであり、需要は非水洗便器が主流であった。市場開拓は、北は北海道から九州まで都市部を中心に建材店、陶器店ルートで行われ営業部員は月の内の大半を出張に費やして、お得意様獲得に奮闘し拡販に努力した。その頃の福井県は全国的にみて知名度が極端に低く、その所在地すら認識されていない現状であったが、昭和38年の冬、北陸地方を襲った「38豪雪」時にテレビニュースで地元が連日放送された為福井の地は、深い僻地のイメージすら持たれた。
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