蜻蛉の羽やもりがくはへ皺にする
作 者 |
|
季 語 |
|
季 節 |
夏 |
出 典 |
|
前 書 |
|
評 言 |
〈根源探究の俳論〉とか〈観念の具象化、精神の物質化を現前成就してみせた〉永田耕衣の作品の中でも、現実を見る目の非情さ冷徹さ、その中にある膨大な精神の量に惹かれる。 あれはおそらく螽斯だったと思うが、青虫を銜えているのを見たことがある。まさしく〈蜻蛉の羽〉の句そのものの光景である。 自然界に繰り返されるこのような事象は数知れないであろう、そしてそれは人間世界にも数限りなくある。それらをストップモーション映像のごとく言葉によって映像化している。その微細な、銜えられた蜻蛉の羽が皺になっていく音までもリアルに、そして守宮の透き通るような体から発する青白い熱量までも書いているように思う。 掲句を収録する『驢鳴集』(昭和27年・播磨俳話會刊)は主として「天狼」に発表した作品から成る。昭和22年から26年までの作品をおさめるこの句集には〈夢の世に葱を作りて寂しさよ〉〈かたつむりつるめば肉の食い入るや〉〈うつうつと最高を行く揚羽蝶〉〈母死ねば今着給へる冬着欲し〉などの耕衣独特の観念を書いた句がある。 禅的な世界観と一口に言って済むものではない。この人への生命への世界への、すなわち人間世界への憧憬にみちた厄介なものを表現し続けていたのではないか。 『驢鳴集』の後記に〈生命といふものは実に厄介千万なものだ。一句は無限憧憬の形に発し、あはよくばその端的に依存して、自己を宇宙的に解消せんと希ふ〉と記す。 〈蜻蛉の羽やもりがくわへ皺にする〉は耕衣の自身を解消しようとする意志においてまさに絶景であるといえるようだ。 写真提供:Photo by 図鑑.netブログ- zukan.net - |
評 者 |
|
備 考 |
- 蜻蛉の羽やもりがくはへ皺にするのページへのリンク