顕昭
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顕昭(けんしょう、1130年(大治5年)? - 1209年(承元元年)?)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌僧。亮公(すけのきみ)、亮阿闍梨(すけのあじゃり)とも呼ばれる。父母未詳。左京大夫藤原顕輔の養子となったため、藤原姓を賜っていた。
来歴
来歴は川上新一郎の年譜に拠る[1]。
1130年(大治5年)出生(久曾神昇説)。1141年(永治元年)初めて和歌を詠む(『顕昭陳状』)。1144年(天養元年)7月1日から1146年(久安2年)11月21日にかけて、比叡山で『倶舎論』を書写校合する。1149年(久安5年)山路歌合に出詠し、以後数十回の歌合に出詠する[2]。その間、1183年(寿永2年)『拾遺抄注』『後拾遺抄注』『詞花集注』『散木集注』『後撰集注』『金葉集注』『堀川百首注』が成立、1185年(文治元年)『古今集注』が成立、いずれも守覚法親王に献呈する。1207年(承元元年)後鳥羽院に法橋位を許される。1209年(承元3年)長尾社歌合に出詠したのが確認できる最後の事跡である。
脚注
- ^ 川上新一郎「顕昭略年譜」『三田國文』第3号、慶應義塾大学国文学研究室、1985年、39-44頁。
- ^ 萩谷朴『平安朝歌合大成 第10 (史論総説書志篇)』1969年 。
参考文献
- 顕昭『袖中抄』(本居豊頴 監修、室松岩雄 編)法文館書店〈歌学文庫 1〉、1910年 。
- 久曽神昇『顕昭・寂蓮』三省堂、1942年 。
- 橋本不美男、後藤祥子『袖中抄の校本と研究』笠間書院、1985年 。
- 万葉七曜会 編『論集上代文学 第20冊』笠間書院、1993年 。
- 萩谷朴『平安朝歌合大成 第10 (史論総説書志篇)』萩谷朴、1969年 。
- 佐佐木信綱 編『日本歌学大系 別巻 第2』(久曽神昇 編 袖中抄)風間書房、1958年 。
関連項目
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