薛延陀
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薛延陀[1](せつえんだ、拼音:Xuēyántuó)は、6世紀から7世紀にかけて、中央ユーラシアに分布したテュルク系遊牧民族鉄勒(てつろく)の有力部族のひとつ。その中心氏族は一利咥氏[2]といい、鉄勒諸部の中でも最も勢力の強い部族であった。
- ^ 海外では「薛延陀」を『突厥碑文』に見える「シル sir」と「タルドゥシュ tarduš」とからなる複合語、「シル・タルドゥシュ」の音写とする説が有力であるが、これは誤りである。小野川秀美「鉄勒の一考察」(『東洋史研究』5-2、1940年)、護雅夫「突厥の国家構造」。また、ハウスィヒは、「薛延陀」を東ローマの史料に見える「セリンダ Serinda」の音写と考えているが、これには従えない。≪佐口・山田・護 1972,p219≫
- ^ 『通典』巻一九九には「可汗姓壱利吐氏」とあり、これはIltirišと読めるかもしれない。《平凡社 1972,P424》
- ^ 天山山脈の東にあるボグド山を指す。《平凡社 1972,P424》
- ^ Yädiz(Ädiz)を指すか、一利咥あるいはÄrtis(イルティシュ)を指す語という説がある。《平凡社 1972,P424》
- ^ 「立ちたる可汗」の意。《平凡社 1972,P23》
- ^ 『隋書』列伝第四十九 北狄、『北史』列伝第八十七 鉄勒、『旧唐書』本紀第二、本紀第三、列伝第一百四十九下 鉄勒、『新唐書』列伝第一百四十二下 回鶻下
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