董仲舒の災異説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/02 12:37 UTC 版)
『漢書』によれば、儒教の中に陰陽思想を取り入れたのは景帝・武帝代の董仲舒という。董仲舒は春秋公羊学の大家で、『春秋』の解釈を通じて災異と失政の関係を示した。しかし、簡略でそれ自体何も語らない『春秋』はもとより、『春秋公羊伝』にも災異説の観点は希薄である。董仲舒が災異説の創始者とされるゆえんである。 董仲舒は天地も人もともに陰陽に支配されており、人君の政治が乱れると天地の陰陽も乱れて災異が生じる、という理論を唱えた。いわゆる天人相関説である。董仲舒の用語では、「災」は異常の度が小さなもの、「異」は大きなもので、本質的には同じである。董仲舒は『春秋繁露』で、君主が徳を養い善政をとるならば、災異はなくなり福が来るだろうと説いた。君主の横暴を抑え、儒教的な善政を勧めるのが、董仲舒の災異説の目的と言える。 董仲舒においては、災異が事の前兆として起こることはない。災異が政治の実績と関係なく起こるのであれば、予防や対策として善政に努める意味がなくなってしまう。「災異の象を前に推し、しかる後に安危禍乱を後に図る者を悪(にく)む」と特に記し、予言的解釈を牽制した。
※この「董仲舒の災異説」の解説は、「災異説」の解説の一部です。
「董仲舒の災異説」を含む「災異説」の記事については、「災異説」の概要を参照ください。
- 董仲舒の災異説のページへのリンク