葛城修験道の霊場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:44 UTC 版)
「犬鳴山 (大阪府)」の記事における「葛城修験道の霊場」の解説
犬鳴山には真言宗犬鳴派の本山「七宝瀧寺/七宝滝寺(しっぽうりゅうじ)」があり、役小角が661年、大峰山山上ヶ岳の6年前に開山したと伝わり、元山上と呼ばれている。古くは犬鳴山を含む金剛・和泉山系全体を「葛城」と呼び、その中でも犬鳴山は西の行場、東の行場を持つ葛城二十八宿修験道の根本道場となっている、日本の霊山のひとつである。 近世初頭の「口上覚」によると、毎年5月に高野山から葛城巡行する先達たちは、犬鳴山に7日間留まり柴焼護摩を修したといい、「葛城山中で七日間も逗留するのはここだけだ」と述べられており、いかにこの山の地位が高かったかをうかがわせるものとなっている。南北朝期に六坊が創建され、室町期には二十坊の坊舎を有し、本堂の修復も行われて隆盛を迎えた。しかし豊臣秀吉の根来攻めによって本堂以外の堂舎を焼き払われ、田畑山林も没収され、一時は廃絶同然となった。のち岸和田城主より寺領五石の寄進を受け、ほぼ今日見られるまでに復興したものである。
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