萬満寺とは? わかりやすく解説

万満寺

読み方:マンマンジ(manmanji)

宗派 臨済宗大徳寺派

所在 千葉県松戸市

本尊 阿弥陀如来不動明王

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

万満寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 14:32 UTC 版)

万満寺(萬満寺)
本堂
所在地

千葉県松戸市馬橋2547

位置 北緯35度48分47.59秒 東経139度55分9.77秒 / 北緯35.8132194度 東経139.9193806度 / 35.8132194; 139.9193806
山号 法王山
宗派 臨済宗大徳寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 建長8年(1256年
開基 千葉頼胤忍性(開山)
文化財 木造金剛力士立像(国の重要文化財)
木造阿弥陀如来坐像・木造不動明王立像・鋳造魚籃観音立像(松戸市指定有形文化財)
法人番号 3040005005112
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万満寺(まんまんじ、萬満寺)は千葉県松戸市馬橋にある臨済宗大徳寺派寺院。山号は法王山。本尊は阿弥陀如来。「仁王さまの股くぐり」で知られる。鎌倉時代作の金剛力士(仁王)像は国の重要文化財に指定されている。

歴史

建長8年(1256年下総国守護千葉頼胤忍性を招聘して、真言宗大日寺(現在千葉市稲毛区轟町)を創建。

室町時代 千葉満胤臨済宗の寺院として再興し、鎌倉公方足利氏満の満の一字を貰って万満寺と改名。

天文6年(1537年)、千葉氏傘下の有力な将となっていた高城胤吉より寺領が寄進された。明治41年(1908年)、大火により伽藍のほとんどを焼失してしまったが、昭和62年(1987年)、新本堂が完成する。

文化財

重要文化財(国指定)

  • 木造金剛力士立像 - 鎌倉時代の作。寺伝に運慶作というが、これは日本各地の仁王像に共通して見られる伝承で、実際の作者は不明である。関東地方に残る仁王像としてはもっとも古くかつ優れた像の一つである。1916年、当時の古社寺保存法に基づき旧国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定された。

松戸市指定有形文化財

習俗

  • 1月成人の日(現住職の代からこうなった。それ以前は1月15日)に護摩供養を行なう。
  • 8月16日に施餓鬼供養を行なう。

いずれも檀家の行事である。1月には食事と般若湯が給される。8月には食事が供される。また、8月には法話がある。

  • 唐椀供養(春・秋の祭礼時に精進料理を供する)

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脚注

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