萩形マタギ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 13:21 UTC 版)
萩形は1822年(文政5年)、約10キロ北東の萱草や根子のマタギによって開かれた。1700年代に入り、菅江真澄翁の「月のおろちね」に阿仁マタギが移住以前にマタギ小屋や祠があったとされ、当時は一年の狩猟に依りて生計を立てたとされる。主峰、太平山(1171メートル)を背に奥羽山脈を旅する阿仁マタギの砦でもあり、戦前はバンドリ(ムササビ)やテンなどの毛皮が軍向けに高く売れた時期もあり、マタギを生業とする狩猟文化が盛んであった。1966年、秋田県営第1号となる萩形ダムが完成したのをきっかけに約10戸が水没し、残りの30戸ほどの住民も故郷を後に方々へ散った。集落の外れに、1969年(昭和44年)に村の消滅とともに建てられた「離村記念碑」に当時の家長たち38人の名が刻まれ静かに佇む。
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