萩原太郎とは? わかりやすく解説

萩原太郎

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 01:42 UTC 版)

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萩原 太郎
生年月日 1828年8月18日
没年月日 (1904-02-12) 1904年2月12日(75歳没)
前職 平戸村代官
称号 大日本武徳会精錬証

在任期間 1881年10月 - 1884年4月
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萩原 太郎(はぎわら たろう、1828年8月18日文政11年7月8日) - 1904年明治37年)2月12日)は、日本剣術家流派直心影流称号大日本武徳会精錬証神奈川県会議員幼名連之助行篤

経歴

旗本杉浦越前守邸(江戸湯島)で、鈴木弥太郎行孝の二男として生まれる。相模国鎌倉郡平戸村代官萩原家の養子となる。

1842年天保13年)、早田真太郎養徳に直心影流剣術を学び、各地への武者修行を経て、1851年嘉永4年)3月、早田から直心影流の免許皆伝を受ける。

平戸村代官を務めるとともに道場を開き、農民に剣術を指南する。道場は有名になり諸国の剣客が試合に訪れた。1858年安政5年)8月には天然理心流近藤勇(後の新選組局長)が訪れたが、前月に将軍徳川家定が死去し喪中であったため試合は行わなかった。

廃藩置県後は神奈川県に出仕し、戸長区長、郡書記県会議員を歴任。1885年(明治18年)から1897年(明治30年)まで神奈川県御用掛として同県警察部で撃剣を指導する。

1895年明治28年)、大日本武徳会第1回武徳祭大演武会に出場し、同会から精錬証を授与された。

参考文献

関連項目

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