華族身分の剥奪・返上
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 10:18 UTC 版)
奈良華族などの財政基盤が不安定であった家や、松方公爵家・蜂須賀侯爵家のように当主のスキャンダルによって華族身分を返上することも行われた。多くの場合、自主的な返上にとどまるが、土方伯爵家(土方与志)の例や旧堀江藩主大沢家の事例は華族身分が剥奪されている。また、華族令では懲役以上の刑が確定すれば自動的に爵位を喪失するものとされていた。 大沢基寿は、元々堀江領3550石を知行する高家旗本だったが、1868年(明治元年)8月に行った検地で実高5485石に浜名湖の湖面の一部を「開墾予定地」として架空の新田内高4521石を計上、都合1万0006石という虚偽の報告を行なった。この報告に基づき堀江藩が成立し、基寿は同年9月に堀江藩主(大名)となり、明治2年の版籍奉還に際して華族に列したが、明治4年の廃藩置県後の再調査で報告の虚偽が露見し、基寿は華族身分を剥奪、士族に落とされた上で、禁固1年の実刑判決を受けた。
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