菊池市立戸崎小学校
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| 菊池市立戸崎小学校 | |
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| 北緯32度58分00秒 東経130度48分36秒 / 北緯32.966759度 東経130.810085度座標: 北緯32度58分00秒 東経130度48分36秒 / 北緯32.966759度 東経130.810085度 | |
| 過去の名称 | 公立菊南小学校 尋常菊南小学校 戸崎村花房村組合立菊南尋常小学校 戸崎尋常小学校 戸崎尋常高等小学校 菊池郡戸崎村戸崎国民学校 戸崎村立戸崎小学校 菊地町立戸崎小学校 |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 菊池市 |
| 併合学校 | 今小学校 赤星小学校 |
| 校訓 | 心豊かで かしこく たくましく |
| 設立年月日 | 1885年(明治18年)7月 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 学期 | 2学期制 |
| 学校コード | B143210001017 |
| 所在地 | 〒861-1311 熊本県菊池市赤星1164番地 |
| 外部リンク | 公式サイト |
菊池市立戸崎小学校(きくちしりつ とざきしょうがっこう)は、熊本県菊池市赤星にある公立の小学校。
概要
- 歴史
- 1885年(明治18年)創立。現校名となったのは1958年(昭和33年)。2025年(令和7年)に創立140周年を迎えた。
- 校訓
- 「心豊かで、かしこく、たくましく」
- 校章
- 中央に校名の頭文字である「戸」の文字を配している。
- 校歌
- 1955年(昭和30年)制定。作詞は竹下白峰、作曲は梅沢信一による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「戸崎校」が登場する。
- 通学区域
- 菊池市のうち「今・甲森北・乙森北・上古閑・下赤星・上赤星」。中学校区は菊池市立菊池南中学校[1]。
沿革
- 前史
- 1874年(明治7年) - 古耕舎が「今小学校」となる。下赤星に「赤星小学校」が設立。
- 本史
- 1885年(明治18年)7月 - 小学校3校(今・赤星・大柑子小学校)が統合し、「公立菊南小学校」が創立。
- 1887年(明治20年)- 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上「尋常菊南小学校」に改称。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、菊池郡「戸崎村」が発足。
- 1891年(明治24年)- 大柑子支校(分校)が分離の上、尋常花房小学校として独立。
- 1892年(明治25年)- 戸崎村が花房村と組合を組織し、「戸崎村花房村組合立 菊南尋常小学校」と改称。花房村出田地区の児童を収容。
- 1893年(明治26年)1月 -「戸崎尋常小学校」と改称。
- 1911年(明治44年)4月1日 - 花房村との組合を解消。花房村出田地区の児童については当面、花房村から委託を受け、教授を継続。
- 1912年(明治45年)4月 - 花房尋常小学校が出田に移転を完了したことにより、出田地区児童の教授委託を終了。
- 1917年(大正6年)
- 3月 - 現在地に移転を完了。
- 4月 - 高等科(2年制)を併置の上「戸崎尋常高等小学校」(尋常科6年・高等科2年)と改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「菊池郡戸崎村戸崎国民学校」と改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
- 国民学校初等科は、新制小学校「戸崎村立戸崎小学校」に改組・改称。
- 国民学校高等科は青年学校普通科とともに、新制中学校「隈府町外四ヶ村中学校組合立菊池中学校」に改組・改称。
- 1955年(昭和30年)12月 - 校歌を制定。
- 1956年(昭和31年)9月1日 - 菊地町の発足により「菊池町立戸崎小学校」と改称。
- 1958年(昭和33年)8月1日 - 菊池市の発足により「菊池市立戸崎小学校」と改称。
- 1968年(昭和43年)4月1日 - 菊池市立菊池中学校が菊池市立南中学校に統合される。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 菊池市立南中学校が菊池市立菊池南中学校に改称。
- 1985年(昭和60年)3月 - 創立100周年記念式典を挙行。
交通アクセス
- 最寄りのバス停留所
- 九州産交バス「赤星」停留所
- 最寄りの幹線道路
周辺
- ルンビニ保育園
- 正林寺
- 菊池川
脚注
- ^ 小・中学校の校区について教えてください - 菊池市ウェブサイト
参考文献
関連項目
外部リンク
- 菊池市立戸崎小学校のページへのリンク