莊嚴淨土寺とは? わかりやすく解説

荘厳浄土寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/12 05:01 UTC 版)

荘厳浄土寺
本堂
所在地 大阪府大阪市住吉区帝塚山東5-11-14
位置 北緯34度36分44.51秒 東経135度29分56.55秒 / 北緯34.6123639度 東経135.4990417度 / 34.6123639; 135.4990417
山号 朝日山
宗派 真言律宗
本尊 不動明王
創建年 1.天慶年間(930年946年)頃
2.再興:応徳元年(1084年
開基 1.不明
2.再興:津守国基白河天皇(勅願)
札所等 摂津国八十八箇所35番
文化財 不動明王立像・愛染明王坐像(府文化財)
法人番号 8120005001346
テンプレートを表示
山門
荘厳浄土寺歌碑と石碑

荘厳浄土寺(しょうごんじょうどじ)は、大阪府大阪市住吉区にある、真言律宗仏教寺院山号朝日山

由緒

前身となる寺院の創建は平安時代天慶年間(930年946年)頃と考えられている[1]

応徳元年(1084年)、白河天皇の勅願により津守国基が再興した[1]。白河天皇の勅願寺となり、荘厳浄土寺の寺号を賜る。住吉社神主であった国基はその財力で大伽藍を建て、永長元年(1096年)旧暦3月14日、落慶法要が行なわれた[2]。『中右記』によると数千人が訪れ、法要が終わって帰路についたところで検非違使の宮道式賢が道を開けさせるよう部下に命じたため、境内の池に落ちて38人が死亡する群衆事故が起きた(『濫觴抄』)[2]

当時は住吉神宮寺津守寺(両寺とも廃寺)と並び「住吉三大寺」と呼ばれるほど壮大な規模を有していた[1]。「住吉四天王寺」とも称せられた。現代では単に「浄土寺」と略称されることもある。

後村上天皇正平年間に、住吉に畢中、父後醍醐天皇の、御霊を信修した聖蹟であると、山門に向かって右側の石碑の裏には書いてある。正平20年/貞治4年(1365年)頃、後醍醐・後村上両天皇の護持僧を務めた文観房弘真の高弟の宝蓮が仏教書『瑜伽伝灯鈔』を著し、本寺で指南の書として用いている[3]

現在の堂は、江戸時代前期の天和2年(1682年)の再建。山門は、明治時代になって廃寺となった住吉大社神宮寺である新羅寺から移築したものである。

近年、当寺の境内西側で発掘調査が行われた[1]

文化財

  • 荘厳浄土寺境内 - 大阪府指定顕彰史跡。
  • 不動明王立像 - 大阪府有形文化財。
  • 愛染明王坐像 - 大阪府有形文化財。
  • 本堂 - 大阪市指定有形文化財[4]
  • 表門 - 江戸時代初期の薬医門[4]。大阪市指定有形文化財[4]

所在地

帝塚山東五丁目11-14

交通

南海高野線住吉東駅

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 大阪府教育委員会・(財)大阪文化財研究所『荘厳浄土寺境内遺跡発掘調査(SG02-1)現地説明会資料 (PDF) 』2003年3月1日(2022年11月14日閲覧)
  2. ^ a b 磯田道史の古今をちこち:雑踏事故 1000年前の教訓『読売新聞』朝刊2022年11月9日(文化面)
  3. ^ 内田啓一 『文観房弘真と美術』法藏館、2006年。ISBN 978-4831876393  pp. 18–19。
  4. ^ a b c 荘厳浄土寺本堂・表門 しょうごんじょうどじほんどう・おもてもん - 文化遺産オンライン

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

莊嚴淨土寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



莊嚴淨土寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの荘厳浄土寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS