荘厳浄土寺
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荘厳浄土寺 | |
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![]() 本堂 | |
所在地 | 大阪府大阪市住吉区帝塚山東5-11-14 |
位置 | 北緯34度36分44.51秒 東経135度29分56.55秒 / 北緯34.6123639度 東経135.4990417度 |
山号 | 朝日山 |
宗派 | 真言律宗 |
本尊 | 不動明王 |
創建年 |
1.天慶年間(930年~946年)頃 2.再興:応徳元年(1084年) |
開基 |
1.不明 2.再興:津守国基、白河天皇(勅願) |
札所等 | 摂津国八十八箇所35番 |
文化財 | 不動明王立像・愛染明王坐像(府文化財) |
法人番号 | 8120005001346 |
荘厳浄土寺(しょうごんじょうどじ)は、大阪府大阪市住吉区にある、真言律宗の仏教寺院。山号は朝日山。
由緒
前身となる寺院の創建は平安時代の天慶年間(930年~946年)頃と考えられている[1]。
応徳元年(1084年)、白河天皇の勅願により津守国基が再興した[1]。白河天皇の勅願寺となり、荘厳浄土寺の寺号を賜る。住吉社の神主であった国基はその財力で大伽藍を建て、永長元年(1096年)旧暦3月14日、落慶法要が行なわれた[2]。『中右記』によると数千人が訪れ、法要が終わって帰路についたところで検非違使の宮道式賢が道を開けさせるよう部下に命じたため、境内の池に落ちて38人が死亡する群衆事故が起きた(『濫觴抄』)[2]。
当時は住吉神宮寺、津守寺(両寺とも廃寺)と並び「住吉三大寺」と呼ばれるほど壮大な規模を有していた[1]。「住吉四天王寺」とも称せられた。現代では単に「浄土寺」と略称されることもある。
後村上天皇の正平年間に、住吉に畢中、父後醍醐天皇の、御霊を信修した聖蹟であると、山門に向かって右側の石碑の裏には書いてある。正平20年/貞治4年(1365年)頃、後醍醐・後村上両天皇の護持僧を務めた文観房弘真の高弟の宝蓮が仏教書『瑜伽伝灯鈔』を著し、本寺で指南の書として用いている[3]。
現在の堂は、江戸時代前期の天和2年(1682年)の再建。山門は、明治時代になって廃寺となった住吉大社の神宮寺である新羅寺から移築したものである。
文化財
- 荘厳浄土寺境内 - 大阪府指定顕彰史跡。
- 不動明王立像 - 大阪府有形文化財。
- 愛染明王坐像 - 大阪府有形文化財。
- 本堂 - 大阪市指定有形文化財[4]。
- 表門 - 江戸時代初期の薬医門[4]。大阪市指定有形文化財[4]。
所在地
帝塚山東五丁目11-14
交通
脚注
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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