苦悶の最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 18:12 UTC 版)
「ジョセフ・P・ケネディ」の記事における「苦悶の最期」の解説
1961年12月19日、ジョーは自宅で脳梗塞の発作を起こした。一命は取り留めたものの、失語症および右半身不随となった。以降はジョーにとって悲痛な晩年となった。 大統領の座に押し上げた息子のジョンは1963年11月22日に遊説中に暗殺され、兄の後を次いで大統領を目指したロバートまで1968年6月6日に暗殺された。末っ子のテッドも上院議員となり、兄たちの果たせなかった夢を果たそうとしたが、1969年7月18日に起こした「チャパキディック事件」における自らの過ちで大統領への道を絶たれた。 1969年11月18日、波乱の生涯と悲痛な晩年を送ったジョーは、家族に見守られながら静かに息を引き取った。81歳であった。妻ローズは長命で、1995年に104歳でこの世を去った。
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