大統領への道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 19:37 UTC 版)
「シディ・モハメド・ウルド・シェイク・アブダライ」の記事における「大統領への道」の解説
タヤの長期政権に国民は不満を募らせていたが、2005年8月の軍事クーデターでタヤ政権が崩壊。エリー・ウルド・モハメド・ヴァールを議長とする軍事政権正義と民主主義のための軍事評議会が成立した。軍事政権は議会選と大統領選の実施の後、民政移管することを約束した。 タヤ政権の崩壊を受け、アブダライは再びモーリタニアに帰国し、2006年6月4日、軍事政権によって無所属の大統領候補に指名された。アブダライは軍事政権との関係を否定したが、民政移管後も影響力を保持したい軍部の意向により、特定の政党との関係が薄いアブダライが大統領候補に祭り上げられたと主張する勢力が存在した。 大統領選の前に行われていた議会選で、第1党の座を得た民主変革勢力連合は、アフリカ連合(AU)を含む国際機関に対し、軍事政権の影響が強く、公正な大統領選が行われないとして告発したが、結局、大統領選は予定通り行われることとなった。
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