若手騎手として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 11:02 UTC 版)
1936年11月21日、東京競馬場の秋季開催で騎手としてデビュー。初戦は17頭立ての15着で、当年は4戦0勝に終わった。当時は若手に多くの機会が与えられるものではなく、初勝利は翌1937年10月のことであった。しかし翌月には騎乗馬リプルスで、主要競走のひとつであった五歳馬特別(東京)を制している。3年目の1938年からは急速に成績を上向かせ、5月28日には牝馬アステリモアで東京優駿(日本ダービー)に初騎乗し、3着。秋には同馬と、当年より創設されたクラシック競走・阪神優駿牝馬に臨み、優勝を果たした。18歳8カ月でのクラシック制覇は史上最年少記録として保持されている。1939年11月には、テツモンで当時の最高格競走であった帝室御賞典(後の天皇賞)を制覇し、通算10勝への端緒をひらいた。1939年にはタイレイで中山四歳牝馬特別(後の桜花賞)を制した。当時、保田と同年代の騎手には、尾形厩舎で双璧と称されるようになる八木沢勝美ほか、高橋英夫、佐藤勇、仲住芳雄といった面々がいたが、その中でも保田の活躍は際立つものだった。同い年の境勝太郎は、名門・尾形厩舎の看板を背負い華々しく活躍する保田に感心し、刺激を受け、また羨んでもいたと述べている。
※この「若手騎手として」の解説は、「保田隆芳」の解説の一部です。
「若手騎手として」を含む「保田隆芳」の記事については、「保田隆芳」の概要を参照ください。
- 若手騎手としてのページへのリンク