花売り娘 (ムリーリョ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/16 00:01 UTC 版)
スペイン語: Muchacha con flores 英語: The Flower Girl |
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作者 | バルトロメ・エステバン・ムリーリョ |
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製作年 | 1665-1670年 |
種類 | キャンバス、油彩 |
寸法 | 120 cm × 98 cm (47 in × 39 in) |
所蔵 | ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー、ロンドン郊外 |
『花売り娘』(はなうりむすめ、西: Muchacha con flores、英: The Flower Girl) は、17世紀スペイン・バロック期の巨匠バルトロメ・エステバン・ムリーリョが1665 - 1670年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。現在、ロンドンのダリッジ・ピクチャー・ギャラリーに所蔵されている[1]。 なお、画中の少女は、「花売り娘」のほかに「春の擬人像」、「ジプシー娘」、そして「娼婦」であるとさえ記述されてきた[1]。
作品

X線画像によると、本作の絵具層の下には『エル・エスコリアルの無原罪の御宿り』 (プラド美術館、マドリード) の聖母マリア像の下半分に一致する別の図像が見て取れる。研究者たちは、ムリーリョがキャンバスを再利用したのだと考えている。現存する素描は、画家が1664年から『エル・エスコリアルの無原罪の御宿り』の数点のヴァージョンを制作したことを示している[1]。
ムリーリョにより本作に用いられている技法は非常に軽い筆致によるもので、印象主義的であり、彩色は画家の全作品中で最も美しいものの1つである [2]。少女の服の袖口にはっきりと見える拡散された光は、1665-1670年ごろのムリーリョの円熟期に特徴的なものである[1]。
画家の盲目で生まれた唯一の娘フランシスカ・マリア (Francisca Maria, 1655-1710年) は、1671年にドミニコ会尼僧フランシス・マリア・デ・サンタ・ロサ (Francis Maria de Santa Rosa) シスターとして受容されたが、本作は彼女を花売り娘として表した肖像画であるという仮説が生まれた。その場合、画面のバラは彼女の新しい名前「ロサ」 (スペイン語で「バラ」の意味) を象徴し、絵画はムリーリョの人生における宗教的ならびに家族的な出来事を組み合わせたものということになる[1]。
イギリスの芸術家フランシス・ブアージュワー (1753-1811年) は18世紀にスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ (1732-1798年) のためにこの絵画を購入し、スタニスワフはエルミタージュ美術館 (サンクトペテルブルク) に倣って、ワルシャワに美術館を設立することを望んでいた。しかし、スタニスワフは1795年に退位したため、これは実現せず、代わりにブアージュワーは本作を1811年にダリッジ・ピクチャー・ギャラリーに遺した。
脚注
- ^ a b c d e “The Flower Girl”. 2025年9月5日閲覧。
- ^ Romano, E., ed. (2005). Murillo (スペイン語). Los Grandes Genios del Arte, Tomo 12. Madrid, España: Unidad Editorial. p. 192. ISBN 84-89780-63-3.
参考文献
- Nina A. Mallory, El Greco to Murillo: Spanish Painting in the Golden Age, 1556—1700, Harper & Row, 1990. 9780064355315.
- Albert Frederick Calvert, Murillo C. Scribner’s sons, 1908. OCLC 66738190.
外部リンク
- 花売り娘_(ムリーリョ)のページへのリンク