芝多(柴田)家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 04:02 UTC 版)
「荘厳院 (伊達政宗側室)」の記事における「芝多(柴田)家」の解説
荘厳院らが亘理へ移った際に、常弘の嫡男・常元は仙台本藩に残り別家を興した。 この仙台本藩の柴田家は、第3代・常春が伊達綱村の側近として重用されたことにより、着坐の家格に列し、柴田郡村田2000石を拝領した。また常春は、一家の四保柴田氏と紛らわしいことを理由に、綱村の命により芝多に名字を改めさせられている。 芝多家はその後奉行職(他藩の家老に相当)を多数輩出し、幕末の慶応2年(1866年)に村田から加美郡谷地森(現:加美町谷地森)に移され、廃藩を迎えた。 ┏柴田常元 ┏柴田常弘━┫柴田信恒━┫ ┗柴田常氏 ┗荘厳院 ┣━━━━伊達宗実 伊達政宗
※この「芝多(柴田)家」の解説は、「荘厳院 (伊達政宗側室)」の解説の一部です。
「芝多(柴田)家」を含む「荘厳院 (伊達政宗側室)」の記事については、「荘厳院 (伊達政宗側室)」の概要を参照ください。
- 芝多家のページへのリンク