航法技術の復興運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/04 16:25 UTC 版)
「ウェイファインディング」の記事における「航法技術の復興運動」の解説
ミクロネシア1970年代初頭、ミクロネシアにおいて、サタワル島とプルワット環礁の航法師たちがお互いに技術を競いあい、久しく絶えていた遠洋航海に挑んでこれを成功させるという事例が相次いだ。1970年にはルイス・レッパンがサイパン・サタワル間の航海を数十年ぶりに成功させ、1975年には同じくルイス・レッパンが航法師を務めた「チェチェメニ」がサタワル島から沖縄島までの航海を成功させた。1986年、ヤップ島のベルナルド・ガアヤンがヤップから小笠原父島まで「ペサウ」で航海している。またマウ・ピアイルックの一族はヤップ島において、航法技術を学ぶ為の学校を開設する準備を進めている。 ポリネシア1970年代、ハワイやタウマコで航海カヌーが久しぶりに建造される。1976年の「ホクレア」がハワイ・タヒチ間往復航海を成功させる。1987年、マタヒ・ワカタカとフランシス・コーワンが「ハワイキヌイ」でタヒチからアオテアロア(ニュージーランド)まで航海。同年、「ホクレア」もアオテアロアに到達。1992年の太平洋芸術祭ではクック諸島、アオテアロア、タヒチなどで航海カヌーが建造され、ナイノア・トンプソンから彼の航法技術が伝授された。
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