舞子の史跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 14:09 UTC 版)
舞子砲台跡江戸時代末期に勝海舟の指導で作られた砲台跡。 舞子六神社元禄2年(1689年)の創建。明石の岩屋神社に勧請して山田村の鎮守とし御祭りした。 たたき地蔵(延命地蔵)海の難所だった舞子付近の安全と子ども達を守って貰うため文政8年(1825年)にお祭りした。 移情閣(現・孫文記念館)神戸で活躍していた中国人実業家・呉錦堂の別荘「松海別荘」を前身としており、1915(大正4)年春、その別荘の東側に八角三層の楼閣「移情閣」が建てられた。外観が六角に見えるところから、地元では「舞子の六角堂」と呼ばれている。孫文が1913年来神したとき、神戸の中国人、経済界有志が開いた歓迎の昼食会の会場になった。移情閣の東側に八木商会の八木与三郎の別荘、その隣に武藤山治邸があり、三家は家族ぐるみの付き合いをしており、のちに武藤の次女と八木の長男は夫婦となった。 大歳山遺跡 狩口台きつね塚古墳 舞子古墳群 石谷の石窟 嵩富竜王 東光庵 狩口台きつね塚古墳 舞子古墳群
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