自然景観と文化景観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:54 UTC 版)
シュリューター以来、景観は自然景観と文化景観の2つに分けられてきた。しかしシュリューターは「自然と人間社会が溶け合ってつくられたもの」として文化景観を捉えたため、単なる自然でも単なる文化でもなく、自然景観と文化景観に分けること自体に矛盾が生じている。 アメリカの地理学者・カール・O・サウアーは、人間行動は自然環境に制約されるという環境決定論が支配的であった1920年代において、人間が自然環境に働きかけることができるとして文化地理学を打ち立てた。そしてサウアーは、景観を人間が手を入れていない「自然景観」と、手を入れた「文化景観」の2つに分け、文化地理学とは自然景観から文化景観への移行を説明する学問である、と定義した。サウアーはカリフォルニア大学バークレー校で教鞭を執り、そこで学んだ研究者らはバークレー学派と呼ばれ、1960年代のアングロアメリカの地理学界で一大派閥を形成した。バークレー学派はフィールドワークを中心とした実地調査を指向し、目に見える景観要素を重視した。 一方リチャード・ハーツホーンは、自然景観とは完全に人間の手の入っていない地域にのみ認められるべきで、人間の居住地域(エクメーネ)に自然景観は存在しない、としてサウアーを批判した。ただし、サウアーは自然と文化を二項対立的に捉えたのではなく、人間が現在見ることのできる景観は文化景観であり、文化景観形成の前の景観、すなわち原景観を自然景観と規定したのである。
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