自主運行バス事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:34 UTC 版)
1970(昭和45)年7月、鶴川団地と鶴川駅を結ぶバス路線を持つ神奈川中央交通が日本初となる深夜バスの運行を開始したが、普通運賃の3倍という高額な運賃に加え、定期券の併用も不可という条件に「鶴川団地東地区自治会」(鶴川六丁目住宅における当時の自治会、現在の鶴川6丁目団地自治会)が反発し、有志による自家用車での無料送迎を行い深夜バスのボイコットを呼びかける事件があった。 さらに1971(昭和46)年1月からは、同月運輸省が神奈川中央交通に対し賃上げ率50%の新運賃を認可したことに抗議するとして、東地区自治会を母体に生まれた「鶴川値上げバス反対の会」の会員らにより、リースを受けたマイクロバスを用いて団地と駅を結ぶ会員制の「自主運行バス」が毎日ほぼ終日にわたり運行されるという事態に発展した。この動きに対して運輸省東京陸運局は、道路運送法違反として「反対の会」を東京地方検察庁に告発する構えを見せつつ、神奈川中央交通側にも深夜バスの運賃を見直すよう打診を行った。その後、神奈川中央交通より深夜バスは運賃2倍かつ定期券所持者は差額負担にするという方針が示され、これを「反対の会」が受け入れたことで、「自主運行バス」の運行はとりやめとなった。
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