膨大な財政赤字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 00:23 UTC 版)
6代継友の時期である享保3年(1718年)の収支は、金部門では収入11万9041両、支出10万5662両で差引1万3379両の剰余、米部門では収入13万970石、支出11万3741石で差引7229石の剰余があり、これを同年の米価1石=金2両で換算すると、総差引2万7837両の黒字となっていた。米部門の収入項日は年貢米越小物成・三升口米などの付加税で、支出項目は江戸下米や家中扶持米など。また、金部門の主要な収入項目は年貢金・三役銀(夫銀、堤.役銀、伝馬銀)などで、支出項目は江戸費用や諸役所経費・尾張家一族の入用・家臣団の扶持などであった。享保13年(1728年)も総差引2万8167両の黒字を計上していた。 だが、宗春が藩主を継いだ享保16年(1731年)は総差引2万7064両の赤字に転じ、隠居前年の元文3年(1738年)には、金7万4607両・米3万6489石余という巨額の累積赤字を出し総差引14万7585両の赤字となった。赤字補填のために領民に多額の借上金を命じて庶民の暮らしを圧迫することになった。 これを継いだ8代藩主・徳川宗勝は倹約を続けた結果、延享4年(1747年)までに、金部門では2万8288両が不足するものの、米部門は11万4779石の剰余となり、総差引では1万3612両の黒字に転じることに成功した。
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