脱植民地後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 17:13 UTC 版)
ベルギー支援によるツチのルワンダ王制は1959年まで続き、キゲリ5世の亡命で終わった。ブルンジでは1966年に王制は廃止されたが、ツチが軍と政権を維持した。 ブルンジでは1972年にフツの反乱の反動としてフツの虐殺が起こされ 、死者は推計で100,000から300,000人に上った。1993年ブルンジで初の民主的選挙が行われ、メルシオル・ンダダイエが大統領に選ばれたがツチの民兵に暗殺された。ツチはブルンジで依然として権力を握っているが、2005年にはピエール・ンクルンジザが2人目の選挙によるフツ系大統領となった。 ルワンダでも虐殺が起きた。 1994年のルワンダ虐殺では推計800,000人の主にツチが殺害された。トゥワも3割が殺害された。 2006年の時点では暴力は沈静化しているが、ルワンダとブルンジの緊張状態は続いており、数万のルワンダ人が国外へ逃れた(大湖沼難民危機)。
※この「脱植民地後」の解説は、「フツ」の解説の一部です。
「脱植民地後」を含む「フツ」の記事については、「フツ」の概要を参照ください。
- 脱植民地後のページへのリンク