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胡礽泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/05 13:04 UTC 版)

胡礽泰
『維新政府之現況』(1939年)
プロフィール
出生: 1875年光緒2年)[1][注 1]
死去: 1940年民国29年)?
中華民国江蘇省宝山県[2]
出身地: 江蘇省太倉州宝山県[1][2][3]
職業: 官僚・外交官・政治家
各種表記
繁体字 胡礽泰
簡体字 胡礽泰
拼音 Hú Réngtài
ラテン字 Hu Jeng-t'ai
和名表記: こ じょうたい
発音転記: フー ロンタイ
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胡 礽泰(こ じょうたい、中国語: 胡礽泰; 拼音: Hú Réngtài; ウェード式: Hu Jeng-t'ai1875年〈光緒2年〉 – 1940年(民国29年)?〉は、中華民国の官僚・外交官・政治家。伯平[1][2][3]北京政府では駐長崎領事署理などを歴任し、晩年は中華民国維新政府に参与した。

事績

1898年、日本に留学し、1900年には更にアメリカへ留学した[2]。帰国後は清朝で民政部郎中、資政院議員を歴任した[1][3]

中華民国成立直後の1912年民国元年)8月17日、胡礽泰は北京政府で国会籌備事務局委員会委員に任命された。1914年民国3年)1月24日、外交部駐長崎領事署理として来日し、翌1915年(民国4年)3月、正式な署理任命を受けた。1916年(民国5年)1月27日、上大夫の位を授与されている。1917年(民国6年)7月、交通部航政司司長に就任し、1922年(民国11年)6月2日までつとめた。この間、賑災委員会委員や魯案善後交通委員会委員も兼任している。1923年(民国12年)2月13日、交通部秘書となり、翌1924年(民国13年)11月7日に辞職した[4]。なお、蔣介石国民政府においては、胡の目立つ活動が見当たらない。

梁鴻志らによる華中での親日政権樹立活動に、胡礽泰も参与している。1938年(民国27年)3月28日に中華民国維新政府が創設されると、胡は交通部次長に任命された[5]。同年7月26日、許修直の後任として、胡が司法行政部長署理に就任した[6][注 2]。しかし、胡は梁と権力闘争を展開して敗退[2]1940年(民国29年)1月4日に辞職・下野へと追い込まれた(後任の部長署理は朱履龢[7]。帰郷後、胡はまもなく病没した[2]

注釈

  1. ^ 外務省情報部編(1937)、129頁によると、「1876年生」。
  2. ^ ただし、胡礽泰の部長署理就任にもかかわらず、許の正式な辞職は何故か同年8月23日のことであった(『政府公報』第20号、民国27年8月29日、維新政府行政院印鋳局、命令2頁)。また、秦編(2001)、76頁は、胡の部長就任日を「同年8月9日」としており(本文後述の退任日は正しい)、前任者である許について言及が無い。

出典

  1. ^ a b c d 徐主編(2007)、982頁。
  2. ^ a b c d e f 姚(2011)。
  3. ^ a b c 外務省情報部編(1937)、129頁。
  4. ^ 中華民国政府官職資料庫「姓名:胡礽泰」
  5. ^ 維新政府令、民国27年4月3日(『政府公報』第2号、民国27年4月18日、維新政府行政院印鋳局、命令1-2頁)
  6. ^ 維新政府令、民国27年7月26日(『政府公報』第16号、民国27年8月1日、命令1頁)。
  7. ^ 維新政府令、民国29年1月4日(『政府公報』第89号、民国29年1月15日、維新政府行政院印鋳局、命令1-2頁)。

参考文献

  中華民国維新政府
先代
許修直
司法行政部長
1938.7.26 – 1940.1.?
次代
朱履龢



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