胡皇后 (北斉後主)とは? わかりやすく解説

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胡皇后 (北斉後主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/22 08:12 UTC 版)

胡皇后
北斉の皇后
在位 572年

配偶者 後主高緯
氏族 安定胡氏
父親 胡長仁
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胡皇后(ここうごう、生没年不詳)は、北斉後主の2人目の皇后本貫安定郡臨涇県

経歴

隴東王胡長仁の娘として生まれた。叔母の胡太后(後主の生母)により宮中に入れられ、弘徳夫人に立てられた。左昭儀に進み、後主の寵愛を受けた。572年武平3年)8月[1][2][3]斛律皇后が廃位されると、陸令萱穆夫人を皇后に立てようと画策したが、胡太后が許さなかった。祖珽が胡昭儀を皇后に立てるよう請願し、ついに皇后に立てられた。しかし皇后自身は穆夫人が皇后にふさわしいと考え、胡太后の意見に反対したため、胡太后の怒りを買って、その髪を剃られ、家に送り返された。この年の12月に廃位された。後主は胡氏の身を思いやって、事あるごとに物を贈って意を示した。577年承光元年)1月、胡氏は廃皇后斛律氏とともに宮中に召し入れられたが、数日のうちに北周軍の攻撃により陥落した。後に胡氏は再嫁した[4][5][6]

脚注

  1. ^ 氣賀澤 2021, p. 133.
  2. ^ 北斉書 1972, pp. 105–106.
  3. ^ 北史 1974, pp. 293–294.
  4. ^ 氣賀澤 2021, pp. 152–153.
  5. ^ 北斉書 1972, p. 127.
  6. ^ 北史 1974, p. 524.

伝記資料

参考文献




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