羽合砂丘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:44 UTC 版)
北条砂丘のうち、天神川以東、橋津川との間を羽合砂丘(はわいさきゅう)と呼ぶ場合もある。このほか、長瀬砂丘、長瀬高浜砂丘などの呼称もある。 東の端は橋津川とその右岸の馬ノ山によって遮られている。馬ノ山の中腹には橋津古墳群と呼ばれる古墳時代の遺跡が集中しており、前方後円墳や円墳が大小24基ほど発見されている。この対岸には幕末に台場が設けられ、国の史跡となっている。 羽合砂丘の中からは、1977年に長瀬高浜遺跡が発見されている。この遺跡は弥生時代のはじめから室町時代まで営まれた大規模な集落跡で、現在の砂丘の表面から10メートル下の砂の中から発見された。住居跡160以上、そのほか建物40以上、大型建物3、古墳41、100数十にも及ぶ埴輪などを含み、山陰でも最大規模である。
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