織田家転身
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 09:13 UTC 版)
はじめ、越前の大名・朝倉氏に仕え、元亀元年(1570年)4月に織田信長の越前侵攻に対して1,000騎を率いて出陣したのが初出。だが、元亀3年(1572年)8月、近江国小谷城で織田軍と朝倉軍が睨み合っている最中、前波吉継に続いて毛屋猪介・戸田与次郎らと共に織田軍の陣に走り込み寝返った。同年11月3日に浅井氏の家臣浅井井規が虎御前山から宮部に到る道に築かれた築地を破壊しようと攻め寄せた際には、守将の木下秀吉の応援として駆けつけ、毛屋猪介などと共に功名を挙げた。 天正元年(1573年)8月に朝倉氏が滅ぼされると、桂田長俊(前波吉継改め)が越前守護代、長繁は越前の府中領主にそれぞれ任ぜられ、以後は同地に住した。同年9月から10月にかけての第二次長島攻めに従軍して戦功を挙げた。しかし、織田家中における桂田との待遇の差に不満を持ち、また桂田も信長に「富田や与力の毛屋・増井の知行が過分である」「富田を府中に住まわせることは無益」などと訴えたため、両者の仲は険悪であり、やがて長繁は桂田の殺害を企てる。
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