緑町八千代座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 22:52 UTC 版)
「松原地区 (四日市市)」の記事における「緑町八千代座」の解説
大正時代の富洲原には、富田一色豊富町に豊富座、松原緑町に八千代座という2つの劇場があった。開設は豊富座が1908年(明治41年)で富田一色が漁業中心の地域で漁民の娯楽としての開設であるのに対して、八千代座は1920年(大正9年)で松原地区の東洋紡績富田工場の建設で人口が増加して商店街の形成によるものであった。地元の阿竹氏らが貸劇場として建設して、小沢興業などの興行主や芸人の上演やこけら落としの実川延若の新国劇や阪東妻三郎一座などの芝居や浪曲の鈴木米若など一流芸人を呼んだ。劇場は2階建で500人の収容力で御座式でプログラムの売り子がいた。三重郡富洲原町以外の三重郡富田町・三重郡川越村・三重郡大矢知村方面から鑑賞する人が来た。八千代座から→昭和初期に帝国館映画館となり→昭楽座の芝居小屋となり→戦後は太陽劇場の歌手ステージとなり→パラダイス劇場の映画館となり→ジャスコ支店1号店の富洲原店となり→ミスターベンリ株式会社のスーパーとなり→新興住宅団地の順に変遷した。
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