結成-1999年
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「東京ローカル・ホンク」の記事における「結成-1999年」の解説
1994年 年頭うずまき結成。オリジナルメンバーは木下弦二、井上文貴、迫田敬也、田中邦雄。目黒、下北沢、吉祥寺などを中心にライブ活動開始。 1994年12月31日~翌年元旦 忌野清志郎主催の年越しイベント「素敵な初詣」(@新宿 日清パワーステーション)に出演。 1999年12月18日 ワンマンLIVE @ 吉祥寺 MANDA-LA2 (ゲスト:カルメン・マキ)。この日をもって迫田敬也脱退。 1999年1月20日 新メンバーとして新井健太加入。
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結成:1999年
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「嵐 (グループ)」の記事における「結成:1999年」の解説
1999年9月15日にハワイ州・ホノルル沖のクルーズ客船でデビュー記者会見を行い、結成。 1999年の夏前から松本、二宮、櫻井はレコーディングや振り付けを行っていたが、CDデビューすることは知らされていなかった。 大野はそれまでに二度、事務所に「辞意」を伝えており、レコーディングは「手伝ってほしい」と言われて参加、「ハワイへ行くのは手伝いのご褒美だ」と思い込んでいた。 櫻井は当時、嵐を一時的な活動グループと考えており、また海外留学を検討していたため、「『1999年ワールドカップバレーボール』のイメージキャラクターとしての仕事が終われば嵐は解散する」と思い加入を引き受けたという。 相葉は渡航3日前になって当時社長のジャニー喜多川から「YOU、パスポート持ってる?」の質問に「あります」と答えたところ「一緒にハワイに行こう」と言われ、「何も知らずに行ったら自分も嵐になっていた」とのこと。 相葉以外のメンバーは、デビュー曲にもともと予定されていた「REACH OUT FOR MY DREAM」という曲と「夢はSOSO」という曲のレコーディングを行っていた。デビュー曲「A・RA・SHI」は、その2曲を1曲にまとめたものである。
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