結成後の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 05:20 UTC 版)
「社会民主党 (イギリス)」の記事における「結成後の歴史」の解説
社会民主党は、以前からある自由党と選挙連合「SDP-自由同盟(SDP-Liberal Alliance)」を結んで候補者の調整を行った。当時のイギリスはマーガレット・サッチャーの政権下にあり、労働党指導部の左傾化に対する反感だけでなく、サッチャーが進める攻撃的な新自由主義的改革に対する反発も強かった。結党の直後は「同盟」2党をあわせると世論調査で保守党・労働党より上位に立ち、補欠選挙では勝利を重ねた。 1983年の総選挙で、社会民主党と自由党は共同マニフェストを掲げて戦った。労働党の得票率27,6%に肉薄する25,4%の得票を獲得したが、議席数は両党併せて23(社会民主党では6)に留まり、結果的には野党分裂を通じて保守党議席増に貢献することになった。その後1987年の総選挙では議席を1つ減らした。 このため、1987年自由党側からの提案で合併が決定され、1988年3月自由・社会民主両党の合併による「社会自由民主党」(Social and Liberal Democrats)が結成された(後に自由民主党へ改称)。なお、オーウェンら3名の合併反対派議員は新たに「社会民主党」を結成したが、党勢が振るわず1990年に解散した。ただし、一部メンバーがさらに新たな同名政党社会民主党 (イギリス 1990-)を組織し、現在でも活動している。
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