結成大会と国会開設請願
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「国会期成同盟」の記事における「結成大会と国会開設請願」の解説
1880年(明治13年)3月15日に第4回愛国社大会が大阪の喜多福亭で開かれた。2府22県から愛国社系以外の政治結社代表を含む114人が参加し、国会開設請願を求める約8万7000人の署名が集まった。3月17日には会場を太融寺に移し大会は4月9日まで続いた。 大会では議長に片岡健吉、副議長に西山志澄が選ばれた。そして、19条からなる規約が作成されて愛国社とは別組織の形で国会期成同盟が発足することになった(愛国社は存続)。こうして第4回愛国社大会は第1回国会期成同盟大会に衣替えとなった。 規約の内容としては、各地の政治結社との連絡の為に常備委員を設置する事、国会開設請願書を天皇に提出する事、国会開設の請願が天皇に聞き届けられなかった場合には同年11月に大会を開く事、国会開設が実現するまでは国会期成同盟を解散しない事、などが決まった。 国会期成同盟は河野広中、片岡健吉を請願の代表として選んで東京に出向き、国会開設請願書である『国会ヲ開設スル允可ヲ上願スルノ書』を太政官および元老院に提出しようとしたが、政府は請願権を認めず却下した。また、政府は4月5日に太政官布告として集会・結社の自由を規制する法令である集会条例を制定して自由民権運動を圧迫、弾圧した。こうした政府の動きに対して自由民権運動を展開する勢力は反発し、個別に建白書や請願書を政府に提出するなどして自由民権運動は盛り上がりを迎えていった。
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