経営破綻の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 06:37 UTC 版)
バブル経済の崩壊後に経営不振に陥ったため、カナダのマニュライフ・ファイナンシャルコーポレーション(英語: Manulife Financial)との合弁によりマニュライフ・センチュリー生命保険株式会社(現:マニュライフ生命保険)を設立したものの、2000年(平成12年)5月に自主再建を断念して経営破綻、金融監督庁(現:金融庁)長官より業務一部停止命令を受けた。 調布市にあった第百生命保険相互会社の本社ビルは経営破綻後も、マニュライフ生命本社ビルとして使用されていたが、マニュライフ生命は2015年(平成27年)3月に東京オペラシティタワー30階へ本社を移転した。その後、旧第百生命保険本社ビルは解体され、跡地には伊藤忠都市開発と三菱地所レジデンスによって分譲マンション「クレヴィア調布国領レジデンス」が建設された。 1990年代末から2000年代初頭にかけてはバブル崩壊の影響を受け、1997年4月25日の日産生命保険の破綻を皮切りに、東邦生命保険(1999年6月破綻)、大正生命保険 (2000年8月破綻)、千代田生命保険(同年10月破綻)、協栄生命保険(同年10月破綻)、東京生命保険(2001年3月破綻)と、当社を含め生命保険会社7社の経営破綻が相次ぎ「生保破綻ドミノ」と呼ばれた。
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