経営不振と再建
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 01:40 UTC 版)
その一方で、一連の企業買収は非効率な発電設備を抱えると共に電力供給能力の過剰を招くことになり、震災による被害とも相まって経営不振の原因となった。東邦電力への対抗策として行った名古屋進出も失敗に終り、加えて社長若尾璋八による社費の政治活動への流用(若尾は立憲政友会総務でもあった)やペーパーカンパニーを用いた私的流用もあり、同社に多額の融資を行っていた三井銀行も事態を看過できない程にまで経営が悪化していた。 若尾の息子若尾鴻太郞と田辺宗英、栗栖末人らが経営する三ツ引商事は東京電燈の設備工事の事業を拡大しており、砂糖貿易、保険事業、スラバヤへの進出なども試みていた。 1927年に三井銀行の池田成彬によって、郷誠之助と小林一三が取締役に就任。債務整理を実施した後に1930年に若尾を会社から追い、郷が社長・小林が副社長の布陣を取った。特に営業の指揮を振るった小林は、営業所を再編すると共に電気器具の販売にも注力や、決められた日に集金を行うこと等の改革を行った。
※この「経営不振と再建」の解説は、「東京電燈」の解説の一部です。
「経営不振と再建」を含む「東京電燈」の記事については、「東京電燈」の概要を参照ください。
- 経営不振と再建のページへのリンク