納所弁次郎
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納所 弁次郎 | |
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基本情報 | |
生誕 | 慶応元年9月24日(1865年11月12日 |
死没 | 昭和11年(1936年)5月11日 |
学歴 |
築地一致英和学校 音楽取調掛 |
ジャンル | 唱歌 |
職業 | 作曲家 |
納所 弁次郎(のうしょ べんじろう、慶応元年9月24日(1865年11月12日)- 昭和11年(1936年)5月11日)は、日本の作曲家、音楽教育家。「兎と亀」「おつきさま」「さるかに」「ももたろう」などの童謡や唱歌、日露戦争の事績を謳った軍歌などの作曲者として知られる。
来歴
幕臣納所重兵衛の四男、六人兄姉の末っ子として江戸の築地に生まれた[1]。1880年(明治13年)頃、築地の東京一致英和学校(現在の明治学院大学)に入学。1883年(明治16年)2月に音楽取調掛に伝習生として入学。ピアノを鳥居忱、瓜生繁子、ギヨーム・ソーヴレーに、唱歌を上真行に学んだ。またこれ以前にヴィオラをフランツ・エッケルトから習っていたこともある。
1887年(明治20年)2月に音楽取調掛を卒業すると、そこで研究生兼教務嘱託となる。1888年(明治21年)9月には学習院でも教え始める。1897年(明治30年)には同志と明治音楽会を立ち上げオーケストラの紹介に務める傍ら、自らも独唱とヴィオラを担当した。1903年(明治36年)10月からは華族女学校の教員も兼るようになった。
1912年(大正元年)に学習院を辞した後、森村小学校(現在の森村学園初等部)で教鞭を取る。また明治女学校・頌栄女学校・東京高等商業学校などでも指導にあたった[2]。森村小学校退職後に仙台に移住し、その地で死去した。
田村虎蔵とともに言文一致体の唱歌を提唱し、「幼年唱歌」「少年唱歌」「尋常小学唱歌」「高等小学唱歌」の編纂に当たった。
家族
娘に童謡歌手の納所文子、納所米子、納所みち子がいる。また姉のりうは日本基督教会牧師の三浦徹夫人。
栄典
主な作曲
- 「兎と亀」、作詞:石原和三郎
- 「おつきさま」、作詞:石原和三郎
- 「さるかに」、作詞:石原和三郎
- 「ももたろう」、作詞:田辺友三郎
- 「凱旋」
- 「弁慶」
- 「笛と太鼓」
- 「豊島の戦」、作歌:小中村義象、1894年
- 「新高山」、作歌:鳥山啓、1898年、教科適用新唱歌第二篇収録
- 「鉄道唱歌」、第四集「北陸編」、1900年
- 地理教育「世界唱歌」上巻、作歌:大和田建樹、1900年
- 国民教育「忠勇唱歌」第五集「牛若丸」、作歌:大和田建樹、1901年
- 「旅順陥落軍歌」、作歌:佐佐木信綱、1904年
- 「仁川の海戦」、作歌:鈴木青湖、1904年
- 征露軍歌「橘中佐」、作歌:大和田建樹、1904年
- 征露大捷記念唱歌「一等国」、作歌:黒田松涛、1906年
- 「森村学園校歌」、作詞:深井虎蔵、1919年
参考文献
- 『楽界生活四十五年』納所弁次郎 音楽世界5月号・第3巻第5号 昭和6年
- 細川周平、片山杜秀 監修「納所 弁次郎」『日本の作曲家 近現代音楽人名事典』日外アソシエーツ、2008年、507-508頁。ISBN 978-4-8169-2119-3。
出典
関連項目
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