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納所弁次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/02 07:20 UTC 版)

納所 弁次郎
基本情報
生誕 慶応元年9月24日1865年11月12日
死没 昭和11年(1936年5月11日
学歴 築地一致英和学校
音楽取調掛
ジャンル 唱歌
職業 作曲家

納所 弁次郎(のうしょ べんじろう、慶応元年9月24日1865年11月12日)- 昭和11年(1936年5月11日)は、日本作曲家、音楽教育家。「兎と亀」「おつきさま」「さるかに」「ももたろう」などの童謡唱歌、日露戦争の事績を謳った軍歌などの作曲者として知られる。

来歴

幕臣納所重兵衛の四男、六人兄姉の末っ子として江戸築地に生まれた[1]。1880年(明治13年)頃、築地の東京一致英和学校(現在の明治学院大学)に入学。1883年(明治16年)2月に音楽取調掛に伝習生として入学。ピアノ鳥居忱瓜生繁子ギヨーム・ソーヴレーに、唱歌上真行に学んだ。またこれ以前にヴィオラフランツ・エッケルトから習っていたこともある。

1887年(明治20年)2月に音楽取調掛を卒業すると、そこで研究生兼教務嘱託となる。1888年(明治21年)9月には学習院でも教え始める。1897年(明治30年)には同志と明治音楽会を立ち上げオーケストラの紹介に務める傍ら、自らも独唱とヴィオラを担当した。1903年(明治36年)10月からは華族女学校の教員も兼るようになった。

1912年(大正元年)に学習院を辞した後、森村小学校(現在の森村学園初等部)で教鞭を取る。また明治女学校頌栄女学校東京高等商業学校などでも指導にあたった[2]。森村小学校退職後に仙台に移住し、その地で死去した。

田村虎蔵とともに言文一致体の唱歌を提唱し、「幼年唱歌」「少年唱歌」「尋常小学唱歌」「高等小学唱歌」の編纂に当たった。

家族

娘に童謡歌手の納所文子、納所米子、納所みち子がいる。また姉のりうは日本基督教会牧師の三浦徹夫人。

栄典

主な作曲

参考文献

出典

  1. ^ 倉田喜弘監修『昭和前期音楽家総覧―『現代音楽大観』』下巻188ページ及び日本近代音楽館編『明治の作曲家たち』26ページ
  2. ^ 『楽壇生活四十五周年記念に際して』納所弁次郎 月刊楽譜・第20巻第5号 1931年
  3. ^ 『官報』第8257号、「叙任及辞令」明治43年12月28日

関連項目




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