箱館奉行時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 09:55 UTC 版)
それから1年半後の慶応2年(1866年)1月18日、箱館奉行に任命され、蝦夷地へ赴任、日露和親条約で日本とロシアの雑居地と決められた樺太の内、日本人居住地の南にロシア人が住居を建設する問題が発生、その交渉にあたった。しかし、本州では幕府が大政奉還、それに続く戊辰戦争で旧幕府側は劣勢に立たされた。やがて慶応4年(1868年)3月、朝廷に奉行所を明け渡すよう江戸から指令が届き、閏4月27日、箱館裁判所総督清水谷公考に箱館奉行所を引き渡し、6月に江戸へ戻った。
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