算学修業と幕府出仕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 04:36 UTC 版)
文化14年(1817年)、笠間藩士小守宗次の三男として生まれる(母は飯田登和)。同藩の小野柳五郎の養子となり、家督を継ぐ。同藩の算学者甲斐駒蔵に入門し、和算を学んだ。江戸詰めとなった際に長谷川弘に入門してさらに算学を修める。弘化4年(1847年)上総郷士・赤井庄五郎の娘・津多と結婚。 嘉永5年(1852年)、師の甲斐と共に『量地図説』を著す。同年に江戸幕府天文方出仕となり、勤務の傍ら江川英龍に砲術や軍学・オランダ語を学んだ。オランダの航海術書を翻訳し『渡海新編』4巻として幕府に提出した。
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