第6代校長高橋潔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:08 UTC 版)
「大阪府立中央聴覚支援学校」の記事における「第6代校長高橋潔」の解説
第6代校長の高橋潔は、1933年1月に文部省が口話法の推進政策を開始した後にも日本で唯一、手話法によるろう教育を継続した(ただし口話法による教育も並行して行った)。 当時、本校は台頭する口話法の成果を取り入れ、児童生徒の適性により口話法・手話法を使い分ける「適性教育(ORAシステム)」を提唱。高橋は教え子たちに慕われただけでなく、同時代の成人ろう者社会において幅広い尊敬を集め、手話の達人でもあった。 高橋は当時まだ生まれて日が浅い言語であった日本手話の改良にも力を入れ、夏休みには教え子や彼を慕う成人ろう者たちとともに毎年、吉野の竹林院で合宿を行った。 こうした高橋の活動が日本手話に与えた影響は小さくないとの見方もある。
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