第6代までの家督問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 10:18 UTC 版)
高直は35歳で死去し、3歳の嫡子高重が第4代を後継するが、31歳で死去。また無嫡のため佐伯藩は断絶の危機を迎えた。藩の重役らは末期養子として同じ豊後森藩の久留島通清の三男高久を迎えて第5代を継がせた。久留島家は毛利家と縁戚関係にあり(毛利高成と久留島通春の正室が佐久間安政の娘で義兄弟)、同じ国にある外様小藩で親密な関係にあったためであった。 この高久は正室に南部行信の娘を迎えたが夫婦仲は不仲であり、半年足らずで離縁している、しかも高久がこの後に嫁取りをしなかったため、窮した重役は高久の実弟である高慶を再び養子に迎えた。このように第2代藩主から第5代藩主が早世しているため、藩政は乱れて綱紀にも緩みや乱れが発生した。第6代高慶のとき、こうした乱れに対して綱紀粛正や改革を行い藩政の立て直しがなされた。そのため高慶は佐伯藩中興の祖とされる。その一方で、この高慶も世継ぎ問題を起こした。最初の嫡子高通は病弱を理由に廃嫡され、庶子の高能が嫡子になる。だが高能は病により早世し、高通の長男、すなわち嫡孫の高丘を跡継ぎにしてようやく世継ぎ問題を解消させた。
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