第4代モンゴル帝国皇帝モンケの時代とは? わかりやすく解説

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第4代モンゴル帝国皇帝モンケの時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:51 UTC 版)

モンゴル帝国」の記事における「第4代モンゴル帝国皇帝モンケの時代」の解説

モンケオゴデイが行った占領地域に統治政策受け継ぎ帝国のうち定住民が居住する地帯ゴビ砂漠以南漢地中国)、ハンガイ山脈以西中央アジアアム川アムダリア川以西西アジアの3大ブロック分けて地方行政機関(行尚書省)を再編した。『元史』に載るいわゆる燕京等処行尚書省別失八里等処行尚書省阿母河等処行尚書省3つの尚書省これにあたり、マフムード・ヤラワチサイイド・アジャッルマスウード・ベクアルグン・アカといった財務官僚たちこれらの管轄やその補佐として各地任命された。さらに3人の同母弟のうち次弟クビライ漢地軍団総督、三弟のフレグ西アジア軍団総督任命してそれぞれにその方面の征服委ねたクビライ1253年雲南・大理遠征にて大理国征服しフレグ1256年にはアラムートニザール派を、1258年にはバグダードアッバース朝壊滅させた(→バグダードの戦い)。一方かねてからモンケ服属表明していたアナトリアルーム・セルジューク朝ファールスアタベク政権サルグル朝ケルマーン州のカラヒタイ朝などのムスリムイスラム教徒諸政加え大小アルメニア王国グルジア王国など、イラン以西諸勢力掌握努めた。さらにモンケ南宋との決戦のため自ら長江上流域侵入したが、苦戦重ねた末に1259年陣中疫病罹って没した

※この「第4代モンゴル帝国皇帝モンケの時代」の解説は、「モンゴル帝国」の解説の一部です。
「第4代モンゴル帝国皇帝モンケの時代」を含む「モンゴル帝国」の記事については、「モンゴル帝国」の概要を参照ください。

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