第13軍方面とは? わかりやすく解説

第13軍方面(揚子江方面)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 01:02 UTC 版)

冬季攻勢 (1939-1940年)」の記事における「第13軍方面(揚子江方面)」の解説

第13軍方面では、中国軍の第86軍などが11月末から安徽省青陽南方付近に集結して陣地補強などの活動活発化させていた。そこで第13軍は、第116師団正面からの攻勢予測して第116師団歩兵3・山砲1個大隊配属第15師団協力させて、未然中国軍攻勢挫折させるよう指示した12月12日)。 12月16日朝、野山十数門・重砲3門を擁する中国軍約4個師が青陽付近から猛攻加えてきた。第3戦区司令長官顧祝同が、揚子江遮断厳命を受け「長江方面攻撃軍」(14個師)を特別編成し青陽大通重点向けて出撃してきたのである。この出撃は、第116師団準備未完乗じて発動されたものだった12月17日夕になると、青陽方面中国軍焼夷弾使用しながら来襲、いたる所で白兵戦起こり、ついに日本軍防衛線は突破され、揚子江航路大通前面一時遮断された。小部隊に分かれて侵入した中国軍は、対戦車砲などを推進して揚子江遡行する日本輸送船砲撃するとともに機雷放流した第116師団23日から青陽対す攻撃開始した。しかし青陽県城はすでに中国軍大部隊によって堅固に防御されており、12月26日攻撃中止された。 その後中国軍揚子江付近に布陣して船舶航行妨害し続けた第13軍反撃作戦実施してこの青陽付近中国軍第50軍:4個師)を撃破することにし、4月22日から5月2日までの作戦でこれを撃破退却させた(春季皖南作戦)。

※この「第13軍方面(揚子江方面)」の解説は、「冬季攻勢 (1939-1940年)」の解説の一部です。
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