第13軍方面(揚子江方面)
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「冬季攻勢 (1939-1940年)」の記事における「第13軍方面(揚子江方面)」の解説
第13軍方面では、中国軍の第86軍などが11月末から安徽省の青陽南方付近に集結して、陣地補強などの活動を活発化させていた。そこで第13軍は、第116師団正面からの攻勢を予測して、第116師団に歩兵3・山砲1個大隊を配属し第15師団を協力させて、未然に中国軍の攻勢を挫折させるよう指示した(12月12日)。 12月16日朝、野山砲十数門・重砲3門を擁する中国軍約4個師が青陽付近から猛攻を加えてきた。第3戦区司令長官顧祝同が、揚子江遮断の厳命を受け「長江方面攻撃軍」(14個師)を特別編成し、青陽・大通に重点を向けて出撃してきたのである。この出撃は、第116師団の準備未完に乗じて発動されたものだった。12月17日夕になると、青陽方面の中国軍は焼夷弾を使用しながら来襲、いたる所で白兵戦が起こり、ついに日本軍の防衛線は突破され、揚子江航路は大通前面で一時遮断された。小部隊に分かれて侵入した中国軍は、対戦車砲などを推進して揚子江を遡行する日本の輸送船を砲撃するとともに、機雷を放流した。第116師団は23日から青陽に対する攻撃を開始した。しかし青陽県城はすでに中国軍の大部隊によって堅固に防御されており、12月26日に攻撃は中止された。 その後も中国軍は揚子江付近に布陣して船舶の航行を妨害し続けた。第13軍は反撃作戦を実施してこの青陽付近の中国軍(第50軍:4個師)を撃破することにし、4月22日から5月2日までの作戦でこれを撃破、退却させた(春季皖南作戦)。
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