第四変以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/05 14:50 UTC 版)
第四変期は、当時中国に流入されつつあった西欧の天文学をはじめとする科学を取り入れて、従来の儒学思想に組み入れようとしたものである。そのため、従来の礼制の成果を「人学」(人間世界の学問)とみなし、『詩経』『易経』を「天学」(宇宙の学問)と見なすなどの見地を提出した。第五変期はこの拡大解釈である。 第六変期は、『黄帝内経素問』の影響を受け、中医学の研究を発表した時期でもある。これは廖平が病気に冒されたとき、治療のために読んだ『素問』に、宇宙の真理が説かれていたからであるという。 一般に、第四変期以後は、自己の思想を証明するために儒学の書物以外のもの(仏典や道書など)を多用したため、儒学者からは批判された。
※この「第四変以後」の解説は、「廖平」の解説の一部です。
「第四変以後」を含む「廖平」の記事については、「廖平」の概要を参照ください。
- 第四変以後のページへのリンク