第二次世界大戦後から昭和後期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:04 UTC 版)
「庄内砂丘」の記事における「第二次世界大戦後から昭和後期」の解説
荒廃してしまった海岸林の再整備と、砂丘地における農地開拓はどちらも喫緊の課題であり、その両立が求められた。そのため、国・県・町村の関係機関により昭和24年度に、農地・海岸林・宅地の基本的な配置計画を定めた「飽海郡砂丘地総合開発計画」が策定された。植林が困難であった前線部の民有林が国に寄付され国有林へと組み入れられ、昭和26年から国営の大規模な植林事業が開始されたほか、活発に植林事業が展開された。しかし昭和30年代はまだ飛砂がひどく、家の中で傘を差して食事をしたり、日々砂掘りをする生活が続いており、その悲惨な状況が、安部公房の小説『砂の女』のモデルとなった。そして昭和50年代に至り、江戸時代から続いた植林事業は一応の完了となった。
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