第二次世界大戦後からベルリンの壁構築まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/04 19:01 UTC 版)
「ドイツ領域通過列車」の記事における「第二次世界大戦後からベルリンの壁構築まで」の解説
1949年9月10日、原則として外国人専用とされ、直行する連絡列車は1日1本の運行から、下記の4区間の直通往復運行へと増発された。やがてドイツ人に対しても段階的に開放されていった。 ベルリン - フランクフルト・アム・マイン ベルリン - ハンブルク ベルリン - ケルン ベルリン - ミュンヘン 東側から西側への乗車には領域通行許可証が必要で、1953年以降は東ドイツからの乗車には出国許可証も求められるようになった。
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