第二次世界大戦中の暴動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 05:51 UTC 版)
「バハマの歴史」の記事における「第二次世界大戦中の暴動」の解説
バハマ初の空港は1940年1月にナッソーで開港したオークス・フィールド空港(Oakes Field)であり、空港の名前は開港資金を提供した百万長者ハリー・オークス(英語版)に由来した。それまでのバハマにおける空輸は主に水上機でまかなわれた。 ウィンザー公爵はバハマ総督に任命されると、新しい公妃とともに1940年8月にバハマに到着した。2人はバハマ総督官邸(英語版)の状態の悪さに仰天したが、「悪い状態なりに最良を尽くそうとした」。公爵はバハマ総督という職に喜ばず、バハマを「3等のイギリス植民地」と形容した。1940年10月29日に議会の開会式に出席すると、「外側の島」(Out Islands)を訪れたが、この訪問で乗ったヨットが論議を呼んだ。ウィンザー公爵夫婦はスウェーデンの実業家アクセル・ヴェナー=グレンのヨットに乗ろうとしたが、米国の諜報機関がヴェナー=グレンをドイツ空軍のヘルマン・ゲーリングの親しい友人と勘違いしたためイギリス外務省がウィンザー公爵夫婦の行動に強硬に反対したのであった。ウィンザー公爵はイギリス帝国の有色人種を軽蔑したのと同じくバハマ人を軽蔑したが、彼はバハマにおける貧困対策に注力したことで賞賛を受けた。1942年6月に労働者の低賃金を原因とした「大規模な暴動」がおきたときの対処でも賞賛を受けたが、彼は暴動を「害悪の製造者、すなわち共産党員」と「徴兵猶予のために職を確保した、ユダヤ系中央ヨーロッパ人」のせいと非難した。公爵は1945年3月16日にバハマ総督を辞任した。
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