第二次世界大戦中の同和教育についての学説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 19:04 UTC 版)
「同和教育」の記事における「第二次世界大戦中の同和教育についての学説」の解説
1942年(昭和17年)8月に、文部省(当時:→文部科学省)社会教育局は『国民同和への道』を刊行し、初めて政府の教育方針として同和教育政策の理念・具体的方針を示した。 同書は、同和教育を通じて「被差別部落の児童・青年」を「天皇陛下の臣民である皇国民としての純真な自覚に立たしめ、苦悩に堪え、艱難を忍び、臣道実践に邁進する強健なる心身」に「陶冶・鍛錬」するというものであった。 これは旧水平社の「下から」の運動のエネルギーをも利用し、部落の児童・青年を他の児童・青年以上の「皇国民」として「陶冶・鍛錬」することを提示しており、この同和教育の指針を「天皇制ファシズム」教育の極限形態の一つとして把握する学説がある 。
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