第二次イタリア遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 05:55 UTC 版)
「ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「第二次イタリア遠征」の解説
1053年、教皇レオ9世は南イタリアにおけるノルマン人との戦いで敗北を喫し、失意のうちに1054年死去した。ハインリヒは後任にアイヒシュテット司教ゲープハルトをウィクトル2世として教皇位に就けた。翌1055年、ハインリヒは再びイタリアに遠征し、フィレンツェで教会会議を開き、教皇領の譲渡を禁止し、司教にシモニアと妻帯の有無の申告をさせた。また、上ロートリンゲン公であったゴットフリート3世が前年にトスカーナ辺境伯ボニファーチオ4世の未亡人ベアトリクスと結婚し、イタリアで勢力を拡大させていた。これに対しハインリヒは、ゴットフリートに圧力を加え、ゴットフリートはイタリアから逃亡、ハインリヒは妻ベアトリクスと義娘マティルデを捕らえた。同年クリスマスには継嗣ハインリヒとサヴォイア伯・トリノ伯オッドーネの娘ベルタを婚約させた。翌1056年初頭に、ハインリヒは再びイタリアから戻った。
※この「第二次イタリア遠征」の解説は、「ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)」の解説の一部です。
「第二次イタリア遠征」を含む「ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)」の記事については、「ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)」の概要を参照ください。
- 第二次イタリア遠征のページへのリンク