第一章 二階の手拭い - 昭和八年四月 -
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「阪堺電車177号の追憶」の記事における「第一章 二階の手拭い - 昭和八年四月 -」の解説
1933年(昭和8年)4月のある日、阪堺電車の車掌である辻原和郎は、最新車輛の177号勤務で上機嫌だった。試運転と最初の営業運転でもハンドルを持ったベテラン運転士の井ノ口も177号は体にしっくり馴染むいい車で、さらにその初運転のときに初めて電車に乗る生まれたての赤ん坊を乗せた縁起のいい車だと言う。そして乗車した辻原は、塚西を発車してすぐ、ふと左側の家並みに目をやると、老舗の質家の二階の欄干に白い手拭いを干してあるのに気が付く。そしてそれから毎日、質屋の二階に白手拭いが干されていたが、7日めに白手拭いが掛かっていたのがいつの間にか青い筋の入った手拭いに変わっていた。欄干越しに質屋の奥さんらしき30歳過ぎの色気のある婦人の顔が見え、裏口からは今しがた電車を降りた25歳ぐらいの二枚目の男が入っていった。辻原はそれを見て、手拭いは密会の合図に違いないと思った。 それからも質屋の二階には白手拭いが干され続き、2度ばかり青い柄物の手拭いに変わっているのを見た辻原は、浮気の合図かと思ってにやりとしたりした。ところが、半月ほど経ったある日、二階に掛かっていたのは真っ赤な手拭いだった。
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