竜王信玄堤の地理的・歴史的景観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 05:34 UTC 版)
「信玄堤」の記事における「竜王信玄堤の地理的・歴史的景観」の解説
甲斐国は内陸部の山間地域であるが、国中地方では平野部である甲府盆地を有する。盆地底部は笛吹川と釜無川両河川の氾濫原であったため、古来から大雨による水害が発生する地域で、安定した定住は困難であった。信玄堤の所在する甲斐市竜王・竜王新町付近では縄文時代にわずかな定住痕跡が見られ、古墳時代には信玄堤の南方に位置する赤坂台において赤坂台古墳群が造営された。平安時代後期には篠原荘が成立する。 平安時代の延長5年(927年)に成立した『延喜式』では甲斐国は河内国(大阪府)・伊賀国(三重県)と並び朝廷から「堤防料」が支出されていたと記している。水に関わる伝承として、近世初頭に原本が成立した『甲陽軍鑑』ではかつて甲府盆地が湖であったとする甲斐国湖水伝承を記している。 釜無川は支流の御勅使川とともに盆地西部において水害をもたらし、戦国時代から江戸時代初期に信玄堤の築造・御勅使川の治水が行われるまでは両河川とも盛んに流路を変更し、釜無川の東流路は甲府(甲府市)へも水害を及ぼしていた。
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